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自分の思いも言わずに世の中を憂いてはダメ!

微力ながら少しでも世の中を良くしたいので、思いを発信していきたいと思いますので、宜しくお願い申し上げます。

沖縄を駆け抜けた聖火ランナーたちに沿道で禁止されていた日の丸が振られて声援が送られた日


リオオリンピックの開幕が直前に迫り、4年後の2020年には東京オリンピックの開催が予定されています。

前回の1964年の東京オリンピックが行われた時、沖縄はアメリカ合衆国の占領下に置かれていました。

その当時の沖縄では、許可されていた祝日以外に日の丸を掲げたり、旗を振ることは、禁止されていて、その規則を破れば、米軍に罰せれるという酷い状況にありました。



オリンピックの開会式のクライマックスは、聖火リレーの最終ランナーが聖火台に点火する場面です。(写真は1964年の東京オリンピックの写真)



古代ギリシアのオリンポスの祭典をヒントに1896年より開始された近代オリンピックですが、最初から聖火リレーによる聖火が行われていたのではありません。

紀元前のギリシアで行われていたというオリンピアのヘーラーの神殿跡地で採火された日を聖火台に点火したことをオリンピックの慣例行事に取り入れたのは、何とヒトラーによるナチス支配下のドイツで行われた1936年のベルリン大会からです。


ベルリンオリンピックヒトラー


(1936年のベルリンでの聖火リレー

その後、聖火リレーは、聖火が通過する場所では、オリンピックが開幕する前から、大きな盛り上がり を見せる、一大行事に発展していますが、既に1964年の東京オリンピックの時にも、ギリシアから運ばれてきた聖火は、日本の全ての都道府県を通って、最終目的地の東京に到着するよう、計画されていました。

聖火リレーの最終地点が東京都だったのに対して、出発地点は ‥‥ というと、沖縄県 でした。

当時の沖縄は、アメリカ合衆国の軍事占領下に置かれていて、本土復帰を果たせていませんでしたが、聖火が全ての都道府県を通るということが決まった時、沖縄も日本の一つの県として、聖火リレーが行われる場所として、決まったのです。

下記のURLの日本オリンピック委員会のホームページに詳しく記されていますが ‥‥‥


http://www.joc.or.jp/past_games/tokyo1964/story/vol01_02.html


開会式の約2ヶ月前の8月21日にギリシャオリンピアにあるヘラ神殿跡で採火され、トルコ、レバノン、イラン、パキスタン、インド、ビルマ、タイ、マレーシア、フィリピン、香港、台湾を経て、9月7日に沖縄に到着しています。(その後、聖火は4つのリートに分かれ、九州と北海道から、それぞれ東京を目指してリレーされていきました)

9月8日から沖縄本島での聖火リレーが開始されましたが、ギリシアを出発してから沖縄までの到着の遅れや、今後の遅れを懸念して、オリンピック委員会からは、分火して先へ進めるよう指示がり、9月9日には聖火は鹿児島に空輸されましたが、沖縄に残った聖火は、その後も9月11日の那覇空港に至るまでの5日間、沖縄本島一周の総距離 247.1km、正走者・副走者・随走者合わせて3,473名の聖火リレーが行われました。



前述した通り、占領下の沖縄では、日の丸を掲げたり、日の丸を振ることが禁止されていましたが、そのような米軍の命令など、お構いなく、多くの沖縄在住の日本人が、沿道で日の丸を振って、聖火ランナーに声援を送りました。

下記のURLの沖縄県公文書館のホームページにて、当時の日の丸を振って応援する県民の写真を見ることが出来ます。

http://www.archives.pref.okinawa.jp/exhibition/2015/03/post-456.html


聖火ランナーの後に、何旗もの日の丸が写っています。


とても皮肉な写真も残っていて、ランナーが走っている後方の丘陵は、米軍の施設なのでしょうか? 星条旗が写っています。






沿道で多くの日の丸が写真に写っています。

処罰など恐れず、祖国である日本への思いを抱いて、全身全霊で応援している沖縄県の方々の写真を見るだけで、涙が溢れでてきました。

これほど大勢の沖縄県民が、規則を破って、日の丸を振って、聖火ランナーに声援を送りましたが、さすがにアメリカ合衆国の占領軍も、これらを全て黙認し、誰も処罰される人間はいなかった そうです。
 
 
 
 
 
 
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