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自分の思いも言わずに世の中を憂いてはダメ!

微力ながら少しでも世の中を良くしたいので、思いを発信していきたいと思いますので、宜しくお願い申し上げます。

オスマン=トルコ帝国の盛衰(前編)

1543年に千年以上も続いたキリスト教東ローマ帝国を滅ぼし、1517年にはエジプトにあった同じイスラム教のマムルーク朝を滅ぼしてカリフを廃位させ、更に勢力を拡大させていきました。


1538年のプレヴェザの海戦でスペイン・ヴェネツィアローマ教皇連合艦隊を破り、地中海の制海権を奪いました。

その後の1571年のレパントの海戦では、逆にプレヴェザの海戦と同じスペイン・ヴェネツィアローマ教皇連合艦隊と戦い、参戦した285隻中の82%以上の235隻を失う大敗を喫しますが、敗戦から僅か半年で同規模の艦隊を再建し、1573年にはキプロス島、翌1574年にチュニスを占領し、翌17世紀にはクレタ島への征服を断続的に行い、その領有も確定させ、地中海の大半を掌握しました。


また、ヨーロッパ(バルカン半島)方面に対しても、1521年はにベオグラードを征服、1526年にはモハーチの戦いでハンガリー王国を破り、1529年には2ヶ月近くも神聖ローマ帝国(ドイツの帝国)の首都のウィーンを包囲しました。(第一次ウィーン包囲)


第一次ウィーン包囲(1529年)、プレヴェザの海戦(1538年)の時のオスマン=トルコ帝国の皇帝が、帝国の最強時代を築いたと言われるスレイマン1世(在位:1520年〜1566年)です。

特に第一次ウィーン包囲は、単に軍勢を率いて神聖ローマ(ドイツ)帝国の首都を包囲したというものではありません。


当時のブルク家出身の神聖ローマ皇帝の皇帝のカール5世(在位:1519年〜1556年)は、スペイン国王のカルロス1世(在位:1516年〜1556年)を兼ねていました。


カール5世のヨーロッパの領土です。

1492年のコロンブスの大西洋航路発見を支援したスペインは、その後もアメリカ大陸への植民地化を進め、カルロス1世(カール5世)の時代には、中南米を中心に広大な植民地を持ち、彼の息子のフェリペ2世の時代には、フィリピンからアメリカ大陸までに至る 日の沈まない帝国 を打ちたてました。


フェリペ2世の世界帝国(植民地)です。(スペインの植民地となったフィリピンの名前は、フェリペ2世の名前に由来しています)

オスマン=トルコ帝国のスレイマン1世は、当時、世界最強の神聖ローマ帝国の皇帝とスペイン王を兼ねていたハプスブルク帝国の首都のウィーンを攻撃して、2ヶ月近くも街を包囲していました。


オスマン=トルコ帝国は、その後も領土を拡大し続けて、1683年には、帝国の領土が最大になります。


しかし、1683年に強引に大軍を率いて、2ヶ月近くもウィーン包囲(第二次ウィーン包囲)を強行した結果、その後、神聖ローマ帝国との16年に及ぶ戦争が続き、トルコは1699年にロシアを除くヨーロッパ諸国とカルロヴィッツ条約を、1700年にロシアとコンスタンティノープル条約を結び、ハンガリートランシルヴァニア公国、スラボニアを神聖ローマ帝国内のオーストリアに、ダルマチアヴェネツィアに、ポドリアをポーランドに、アゾフをロシアに割譲することが決まり、拡大していった領土が小さくなりました。

これを境に、オスマン=トルコ帝国は、衰退へと向かっていきます。

今回の前編ではオスマン=トルコ帝国の勢力が拡大していく過程を記しましたが、その中で特筆すべき事が起きています。

それは、当時の世界最強のハプスブルク家のカール5世のウィーンを包囲して追い詰めた皇帝スレイマン1世の治世に、ハプスブルク家の領土のスペインとドイツに挟まれたフランソワ1世が治めるフランス王国と共通の敵に対抗するために秘密同盟を結んでいますが、その同盟関係の中において、スレイマン1世が1536年(別説では、スレイマンの死後の1539年)に、フランス人に対して、トルコ領内での恩恵的待遇という意味の カピチュレーション を付与しています。

このカピチュレーションとは、トルコ領内に在住するフランス人に対し、通商・居住の自由、租税免除、身体・財産・企業の安全などを保障し、治外法権 までも認めたものです。

これらの権利は、逆にフランス領内に在住するトルコ人に認められたものではなく、トルコがフランスに与えた一方的な特権で、不平等性 を有するものですが、アヘン戦争に負けた清(中国)や黒船に脅された日本が結ばされた 不平等条約の中の 治外法権 と、中身の内容的には、ほぼ同じですが、特権を認めた経緯 は大きく異なります。

16世紀当時のオスマン=トルコ帝国とフランス王国には、歴然とした力の差があり、オスマン=トルコ帝国の方が圧倒的に強国 でした。

まさしく 恩恵的待遇という意味 で、強者が弱者に対して、特権を与えたのです。

圧倒的な力の差がある場合に、強者は、その弱みにつけこむことを恥とする日本人の伝統的な文化と、何かの共通した部分を感じます。

1699年を境に、オスマン=トルコ帝国の力が衰退していき、元来は 恩恵的な意味で与えた特権が、不平等条約としての意味合いに変わっていく過程は、後編で記していきたいと思います。
 
 
 
 
 
オスマン=トルコ帝国の盛衰(後編)

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