カトリック=アタナシウス派
ローマ教皇(法王)がキリスト教世界の頂点に立っているような言い方をする日本のマスコミも存在しますが、ローマ教皇は俗に言うカトリック教会の頂点の存在であって、全てのキリスト教の代表者ではありません。
主に西欧からアメリカ大陸へ広がる西方教会には、カトリック以外にも俗に言う(各派の)プロテスタント があり、主に東欧には 東方教会(ギリシア正教会) があり、ローマ教皇の力の及ばないキリスト教の宗派が多くあります。
カトリックという言葉が、ギリシャ語の katholikos という 普遍的 という意味の言葉から由来するそうですが、大学時代に 哲学・倫理学 を専攻していた私には、思想学としての宗教学として、キリスト教徒でない私からすれば、普遍的という感じはしないので、自分の心の中では アタナシウス派 だと捉えています。
尚、私はキリスト教徒ではなく、キリスト教は賛美もしなければ、冒とくするつもりも全くなく、思ったことを記しているだけなので、信者の方などが、気分を害されることがあれば、どうか、お許しいただきたく存じます。
アタナシウス派は、日本の高校の歴史の教科書にも、4世紀(西暦325年)に開かれた(第一)ニカイア宗教会議 において、イエスの存在が人間かどうかの解釈において、人間面に重きを置いていたアリウス派の主張に対して、アタナシオスらが主張した、神、イエス=キリスト、精霊の3つが全て神性を持っているという 三位一体説 が勝利したことが記されています。
(ニカイア宗教会議)
少し余談になりますが、歴史の教科書には、その辺りの出来事を、三位一体説を主張した代表者だったアタナシオスの名前から、アタナシウス派 と記されていますが、キリスト教の世界で、アタナシウス派なる用語で呼ばれることは殆どないそうで、主張が勝利したニカイア宗教会議の地名に由来する ニカイア派 などの用語が一般的だそうです。
(しかし、日本の教科書にも載っているアタナシウス派という用語を用いて、これから先も書き進めます)
ローマ教皇の力の及ばない東方教会やプロテスタント各派も、アタナシウス派から派生したため、広い意味では、全てがアタナシウス派と呼んでも差し支えないのですが、大筋では、キリストの神性を認めながらも、三位一体に対する解釈 が微妙に異なるため、狭義の意味で、ローマ教皇の力の及ぶ、俗にカトリックと言われる宗派を私はアタナシウス派だと呼んでいます。
(ローマ教皇庁のあるバチカンのサンピエトロ大聖堂)
最後に大学時代に宗教学を学んだ経験より ‥‥
この事が、本当に正しいのかどうかは、未だに自分自身でも解りませんが、神 という存在を突き詰めていくと、2つの事に辿り着く ‥‥ と。
一つは、神は唯一の絶対的な存在なので、一神教 に向かっていく。
神は、全知全能な絶対的に高い存在なので、人間ごときが想像できないような凄い存在だから、偶像崇拝からの脱却 が起こる。
一神教と偶像崇拝の禁止 の2つが、思想学的な見地から、優れた突き詰められた宗教ということになるそうです。
アタナシウス派は、イエスに神性を与えることで、一神教から遠ざかり、三位一体説という苦しい解釈をし、更にイスラム教からの批判に応えて偶像崇拝を禁止した東方教会(ギリシア正教会)や、プロテスタント各派の多くが禁止している偶像崇拝を一度も否定したことのないローマカトリック教会は ‥‥‥ と、個人的に感じる部分もあります。
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