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自分の思いも言わずに世の中を憂いてはダメ!

微力ながら少しでも世の中を良くしたいので、思いを発信していきたいと思いますので、宜しくお願い申し上げます。

実は冬将軍が到来する前に破綻していたナポレオンのロシア遠征軍

 


トルストイの小説「戦争と平和」やチャイコフスキーの序曲「1812年」などの題材にもなっているナポレオンのロシア遠征は、一般的に冬将軍に敗れた言われ(動員兵力などには諸説ありますが)70万人だったナポレオン軍の中でフランスに生還できたのは 5,000人 しかいなかったと言われ、生還率は0.7% という酷さです。

同じく冬将軍(ロシアの冬)に負けたして、という点では、1941年に開始されたヒトラーソ連侵攻が1812年のナポレオンのロシア遠征と共に語られることが多く、私もヒトラーソ連侵攻と比較で、ナポレオンのロシア遠征を紐解いていきたと思います。

多くで語られている通り、ナポレオンの攻撃開始日が(1812年の)6月23日、ヒトラーの攻撃開始日が(1941年の)6月22日で1日違いですが、それぞれの出発地点(攻撃開始場所)が、何処だったかにまで言及されているケースはあまりありません。

攻撃目標はモスクワと同じですが、ナポレオンの本拠地のパリからモスクワまでの距離は 2,500km 、ヒトラーの本拠地のベルリンからモスクワまでは 1,600km で、2つの攻撃の本拠地からのモスクワまでの距離が相当に違います。

攻撃を開始したとされる日に、2つの時代の侵攻軍が何処の場所にいたのかを把握することはがとても重要です。


ナポレオンが攻撃を開始した日の攻撃開始場所はパリではありません。(それよりも早くパリを出発していました)

ナポレオン軍は、フランス軍だけでなく、当時のフランスが支配下に置いていた、ワルシャワ公国、イタリア王国ナポリ王国、ライン同盟、スペイン王国スイス連邦からの軍隊に加え、同盟国としてのオーストリア帝国プロイセン王国の軍隊から構成されており、70万人と言われた全軍のうち、フランス軍は45万人で、それ以外は支配下の国または同盟国の 混成大部隊 の軍隊で、これらの多国籍軍が集結して、現在のリトアニアのネマン川を渡り、ロシアへの攻撃を開始した日が6月23日でした。

同様に1941年6月22日のヒトラーソ連侵攻の出発場所は、独ソ不可侵条約の秘密議定書 に則り、ドイツとソ連で挟撃してポーランドを分割して出来た独ソ間の国境線でした。

(私は)ナポレオンが渡ったとされる場所がネマン川の流域の何処だったかを調べきれませんでしたが、1941年当時の独ソ国境の位置は調べられ、攻撃を開始した場所からのモスクワまでの距離を(概算で)計算することが出来ました。

モスクワまでの距離を算出は、1941年の独ソ国境近くの街だった(ソ連領)ブレスト(旧名:ブレスト=リトフスク)を概算距離を算出する地点として選定して、モスクワまでの直線距離にプラスアルファして、モスクワまでの距離を1,350knと(仮定)しました。

尚、このブレストという街は、第一次世界大戦中にロシア革命が起こり誕生したソビエト政府は、帝国主義戦争から離脱するために不利な条件ながらもドイツとの講和を結び、戦争から抜けますが、ドイツと交渉して講和条約を結んだ場所がブレスト=リトフスクであり、その街の名前により、ブレスト=リトフスク条約 と言われています。

その後、ドイツが第一次世界に負け、ソ連により条約破棄が通告され、その後のパリ講話会議でもこの講和条約の内容は否定されrため、ブレスト=リトフスク条約は実質8ヶ月という短い期間しか有効ではありませんでしたが、第一次世界大戦後のドイツやソ連、東ヨーロッパ諸国に様々な禍根が残り、第二次世界大戦の原因のひとつとなりました。

話を戻します。

場所が特定出来なかったナポレオンの攻撃開始地点のネマン川も、川の流れる位置を大雑把に地図で見ると、ブレストからモスクワまでの距離と似たようなものだったので、同じくモスクワまでの距離を1,350knと(仮定)しました。

どうして、執拗に攻撃を開始した日やモスクワまでの距離にこだわるかと言うと、ナポレオン軍の進軍速度の速さ が一つの重要な鍵だからです。

兵士ならびに補給物資の移動はナポレオンの時代は馬と人力ですが、ヒトラーの時代は戦車やトラック、航空機もありました。

戦争なので、ただ移動するだけでなく、敵と戦いながら進んでいくので、一概には比べられませんが、何と、馬と人力しかなかったナポレオン軍の方が2倍以上の圧倒的に速いスピードでモスクワへ攻め込んでいます。

ナポレオン軍は攻撃を開始して 83日目 の9月14日には、既にモスクワに入城しています。

一方、ヒトラーソ連軍はモスクワの約20km手前までは攻め込んでいますが、ソ連軍に撃退されたためモスクワに辿り着くことは出来ませんでしたが、モスクワに最も近づいたと言われる日が、侵攻を開始して 166日目 の(1941年の)12月5日です。

ナポレオン軍は 1,350km を83日で進んだので、1日平均で 16km以上 進んだ計算になり、ヒトラーのドイツ軍は 1,350km から 20km を減じた 1、330km をナポレオンのちょうど2倍の166日を費やして進みましたが、1日平均で 約8kmしか 進めていない計算になります。

ナポレオン軍は、機械化されたヒトラーのドイツ軍の倍以上の速度で進撃 していたのです。

モスクワのみを目指して進軍したナポレオン軍とは異なり、ヒトラーのドイツ軍はモスクワ以外にも北方のレニングラード(現サンクトペテルブルク)と南方のコーカサス地方を攻める3つの大きな軍団があり、他の軍団との関係でモスクワを目指していた軍団も進軍を途中で停止させていたこともあり、一概にナポレオン軍との比較は出来ない部分もありますが、モスクワへの進軍途中でナポレオン軍の方がロシア軍との戦闘が少なかったことは間違いありません。

ナポレオン軍のモスクワへ攻めのぼる中での大きな戦いは2つしかなく、約500km手前の死傷者が約 9,000人のスモンレスクでの戦い、モスクワ手前の死傷者が約 50,000人のボロジノの戦い(モスクワ川の戦い)です。


ロシア軍は戦力を温存しながら占領してくるナポレオン軍には、物資を調達させない 焦土作戦 を徹底的な行い、全てのライフラインを停止させて、モスクワからも撤退したため、攻撃開始から83日後の1812年9月14日にナポレオン軍は無血入城しました。


出発時に60万人〜70万人だったと言われたナポレオン軍は、計算上、途上の2回の戦いの死傷者をマイナスしても、40万人から50万の兵力でモスクワに入城している筈でが、実際にモスクワへ入城した兵力は 10万〜11万人ほどしかいなかったと言われています。

これは、モスクワに入城するまでに 何と 8割以上の兵がいなくなっている 計算になります。

戦闘による死傷者より、飢えや疲労などでの逃亡 により脱落する兵の方が圧倒的に多かったと言われます。

これほどまでに多くの兵が脱落した原因は、あまりにも早い進軍のスピード でした。

圧倒的なスピードで、防衛陣地を築いて迎え撃とうとしたロシア軍に、その隙を与えさせずに撤退させる効果は確かにありましたが、そのスピードについていけないで脱落する兵の数があまりにも多すぎます。

開戦時のロシア正規軍も20万人近くの人数がいたと言われ、その後に加わった正規軍とそれ以外の民兵や武器を持って戦った農民など兵力は、最終的にはトータルで90万人にまで達したとも言われ、少なくとも正規軍の人数でナポレオン軍がロシア軍を下回ってしまうことは決定的な不利を意味します。

しかし、モスクワの手前でのボロジノの戦い(モスクワ川の戦い)でのナポレオン軍とロシア軍の兵力は、双方 15万〜20万人 で、圧倒的な兵力を誇っていたナポレオン軍の兵力が既に激減していたため、ロシア軍とほぼ同数になってしまっていました。

双方の弾薬が尽きてロシア軍が撤退したため、ボロジノの戦い(モスクワ川の戦い)の勝敗は決することなく終わりましたが、ロシア軍よりナポレオン軍の死傷者の方が多かったとも言われています。

物資や食糧が手に入るとの期待が裏切られたばかりでなく、ナポレオン軍のモスクワ入城直後に、ロシア軍の仕業だと思われる大火が発生し、街を3日に渡って焼き尽くしました。


モスクワを占領したナポレオン軍は、3回に渡り和議交渉を行いましたが、勿論、ロシア側が応じる訳がありません。

冬の到来とロシア軍の反撃を恐れたナポレオンは、入城35日後の10月19日に、物資や食料がなにもないモスクワからの撤退を開始しました。


随所でロシア軍の追撃を受けながらも進軍時よりも早い行軍の 55日 の12月14日にロシア領内から逃げ出しました。


その後、ナポレオンと共にパリまで辿り着けた兵は 5,000人 にしか満たず、撤退時にモスクワにいた 11万人の 4.5% にしか満たず、いかにナポレオンが自分の保身のみを考えて逃げ帰ってきたかがわかります。

冬将軍の到来のために敗れたと言われていますが、数(兵力)の点からしても、相手の土俵であるロシアの大地で、冬の到来前に既に兵力で逆転されてしまった時点で、ナポレオン軍は破綻してしまっていたようです。

逃亡などで自軍の兵力が激減した途中の時点でナポレオンは不安を感じなかったのだろうか? 不安を感じたのであれば、どうして被害が大きくなる前に撤退しようと決断できなったのだろうか?

多くの疑問の残るロシア遠征です。

 

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